霊魂はお浄土に
わたしたちにとってたいせつなのは、遺骨ではなく死者の霊魂だと思います。
霊魂というものは物質ではありません。
仏教の考え方だと、
-お浄土に行った魂-
だと思うべきです。
つまり、この迷いの世界にいるわけがないのです。
わたしは、ある新興宗教の教団の偉い方と対談した時、その教団の教理とされている先祖供養についてこう言ったことがあります。
「あなた方は先祖供養だなんて言っているけれども、ちょっとおかしいんじゃないか。ご先祖さまの霊がこのへんに漂っているなんて、そんなばかな話はない。たとえばわたしのおやじの霊が漂っているから供養しなければいけないと言われたとすれば、それは侮辱だ。わたしの父はちゃんとお浄土にいると信じている。それが、お浄土じゃなしにこのへんを漂っていて、わたしが供養すれば浮かばれるなんて言われるのは侮辱以外のなにものでもない。それは仏教の考え方じゃない」
そう言って攻撃してやりました。
わたしは仏教の考えでもなんでもないのに、現実に行われている習俗を説明するために、わざと仏教にこじつけて説明しているのがインチキ宗教の現状だと思っています。
さらに先祖供養を謳い文句にして、霊園販売業者などが霊園をどんどん建てて商売の道具にしている。
こんなことをやっていたら、土地がなくなってしまいます。
現実に庶民の不満が出てきているし、都会の仏教ではそれがいちばんの悩みなんです。
一方、田舎ではまだまだ安泰で、地方のご住職なんかはこの問題に気がついていません。
この前、島根県のお坊さんと話をしていたら、「うちはお墓の土地がいっぱい余っているから、宅配便で送りますよ」と言っていました。
そういう冗談が出てくるくらい、現実には都会で土地不足、墓不足が深刻な問題となっているわけです。
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法要に終わりをつけよ
最近、東京都では「合葬埋蔵」といい、ひとつのモニュメントを建ててその下に大きな納骨場を作り、希望する都民がみんなそこに入るという制度を打ち出しました。
全部の費用が十三万だといいます。
お参りはモニュメントに向かってすればいいわけです。
大阪の四天王寺のすぐそばにあるT心寺というお寺では、江戸末期からお盆の行事とされているお施餓鬼法要を一年中行うようになり、庶民によって持ち込まれるお骨を集めて粉末にし、「お骨仏」という阿弥陀座像を造っています。
明治二十年から始め、十年に一体ずつ造られるので、平成九年には第十二期目の仏像が開眼したそうです。これも一種の合同墓といえるでしょう。
これらのような方法なら、時代に即応した遺骨の処理方法として評価できますし、お墓の土地不足にも対応できるヒントになるかもしれません。
これからもいろいろな方法が考えられていくことでしょう。
どうしてもお墓を作るというのであれば、三十三年くらいお墓で安置して、あとは人に譲るなり破棄するなりすればいいと思います。
三十三年たてば、霊魂は集合霊となり神さまになるか、仏教的にいえばお浄土のほとけさまになったのですから、お墓から下ろしていいのです(いや、仏教では、ほんとうは死者は死んだ瞬間にお浄土に往っているのですから、お墓を作る必要はありません)。
このお墓から下ろすことを、
-弔い上げ-
といいます。
位牌なども、何代か祀ったあと弔い上げをして破棄すればいいのです。
庶民なら二代くらい祀ればそれで終わりとしたほうがいい。
ところが、お坊さんはそれをやられると商売のタネが尽きますから、だんだん三十三回忌をやれ、五十回忌をやれと言い出し、百回忌まで勧めるようになったわけですが、これはちょっとエスカレートしすぎです。
ものごとに終わりをつけるのは大事なことです。
儒教だったら三回忌、足かけ二十五ヵ月。
神道や仏教なら最長三十三回忌、これでいいんだと思います。
葬式仏教はなくなる
弔い上げをしてお墓を返した時に、まるで自宅の土地や家を売ったようにお金がもらえると思っている人も多いようですが、それはできません。
お墓は自宅の地所と違い、売買はできません。
使用権を購入するのであり、永代供養料を支払うということで、土地を買うものではないのです。
ところが、そのことがわからないためにいろいろなトラブルが起こり、最近そういうことに関する読者からの質問も増えています。
たとえば、田舎から都会に出てきて働いている人たちの中には、もう老齢期を迎えている人たちもたくさんいます。
そういう人たちの中には、本家にはお墓はあっても、もう親しくしている人間も少なくなり、自分たちのお墓は田舎ではみてもらえないと思って都市部の霊園を買い求めます。
でも、霊園は高いですから、土地の権利だけ買って墓石は息子にゆだねるといったケースが少なくありません。
すると息子は財産相続の一環と勘違いして、売ったらいくらになるのかと皮算用を始めるわけです。
そこで調べてみると、親が大金をはたいて買った土地が売買できないとわかり、「いったいどうしたものか」という相談が多くなってきているのです。
わたしはそんな時、「考えなさんな」と答えることにしています。
唯一の答えは、「なにも考えなさんな」ということだと思います。
相談している人のほうが親より先に死ぬかもしれないではないですか。死ぬ順番なんて、いくら考えたってだれにもわかりません。
そして世の中は変わります。
必ずこんな時代ではなくなる。
墓なんか作らなくていいようになります。
それは、少なくとも百年後には変わっているとわたしは予言しておきます。
いや、それ以前に、もっと早く変わるでしょう。
そうすると、考えるだけばかばかしいということになります。
そのころになると、葬式仏教はなくなります。
葬式によってしか成り立たない仏教は滅びます。
これは確実です。
そして、たたりなんていうことはなくなります。
同時に、お墓参りの内容も変質していることでしょう。
おもしろいことに、イスラム教徒はお墓を作るのですが、お墓参りをしてはいけないという決まりがあります。
なぜならば、イスラム教はただアラーの神だけを拝むことが正しいとされているからです。
それ以外のものを拝んだら、イスラム教徒として破門されてしまいます。
だから、絶対にお墓を拝んでもいけないしお墓を詣でてもいけないのです。
インドでも、イスラム教の聖者が死ぬとお墓は作ります。
イスラム教ではお墓を作ることは認められているのですから問題はありません。
しかし、先ほども言ったように、インドには聖者のお墓を詣でる風習があります。
だから、インド人のイスラム教徒はタブーとされているお墓参りを気にせずに行います。
イスラム教では、誤った風習だからやめるようにとだいぶ長いこと言ってきたのですが、インドではお墓参りが定着し、みんなが平気で行っています。
同じように、パキスタン人も抵抗なくお墓参りをしているのでびっくりしました。
お墓参りというのは、その土地の風習に従って発生するんですね。
どんなにイスラム教の原理を示してお墓参りが悪いことだといっても、土地に残っているかぎりはあるわけです。
それが今の日本の状況だと思ってもらえばわかりやすいのではないでしょうか。
つまり、仏教ではお墓参りなんか否定しているのに、習俗として残ってしまっているのです。